2004.7.11(日)西宮医療会館1F会議室にて、西宮心の健康協会主催・生活の発見会関西支部後援 の講演会「今、あるがままに生きる」 が開催されました。その時のレポートをお送りします。

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平成16年度西宮心の健康協会主催 講演会
『今、あるがままに生きる』

(司会)
今日参加されているみなさんの中には人前でドキドキして話しができない・視線が気になって顔を合わせられない・ 夜眠れなくて苦しい・心臓の検査をしても異常がないのに心臓がどきどきして止まってしまうのではないかと苦しんだり、 戸締まりが気になり何度確認しても気になってしまう・・などということで自分は病気なのではないかおかしいのではないか と悩んだり困っておられるかたもいらっしゃるのではないかと思います。

司会者 森田療法は1920年頃東京慈恵会医科大学の教授をされていた森田正馬博士が創始された精神療法です。 当時、そういう症状は心身過労の結果からおこるものであるとか神経が衰弱しているからだなどと言われていました。 森田先生はいろいろな療法を試みられたなかでこの独自の治療法を発見されました。

この症状は自己観察が強く、ものごとを気にするという性格の人におこるものです。神経が過敏だったり、精神の変質ではなく、 普通の人のだれにでもおこる不快感をふと気にしだしたということから始まります。つねにこれを取り越し苦労するようになり、 そのことばかりに執着するために、だんだんにその不快感が憎悪するようになります。それが夢におそわれている時のように事実 でないものを本人の身にとっては実際に重い病気にかかってるような苦悩にさいなまれるようになるということを発見されました。
病人のように安静にして薬をのめば治るというものではなく健康な人として扱えば薬をのまずに根治するということがわかりました。 こういうことで悩んでおられる方々はただ単に悩んでおられるのではありません。もっと思う存分に一生をよりよく生きていきたい、 もっとりっぱな人間になりたいなどという強い欲望を持っておられます。
発表者 悩んでいるかたはそういう風に生きたいという思いが強いがためにちょっとした当然あるべき違和感などを邪魔に思ってしまいます。 これがあるために自分は思うように生きていけないんだと勘違いして気になる部分をなんとかとりのぞこうとします。そしてますます 自分で症状をひどくしてしまっています。
森田療法で治られたかたはこの自分の本心を知って欲望に向かって努力し前向きな生活を送ります。

本日の講演会の内容につきましては、5人の方の体験発表、2の方に森田療法に関する質問に答えていただきました。


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体験発表 No.1
― 長年の対人恐怖も死の恐怖にはかなわなかった ― 女性 muraちゃん

私が、この森田療法の会に足を踏み入れたのは、去年の9月の事でした。
そのころ気管支炎で、咳が止まらず、呼吸困難や不眠が毎日続き苦しんでいました。 ある晩、突然、息がまったく出来なくなり、パニックになって、救急車に助けを求め ました。
呼吸困難に加え、体を動かそうにも、卒倒感が強すぎて体がガタガタ、痙攣 しました。手足は冷たくなり、しびれてきて、意識が遠ざかります。病院で「過呼吸」 だと診断されました。しかし検査をしようにも、自力で起きあがれないから出来ません。
muraちゃん  先生から「この子本当に大丈夫なのか?」といわれて、不安は募り、パニックの 加速を抑えるのに必死でした。その夜は病院にお願いして、入院させてもらいました。 私自身は、これは精神的な病気ではなくて、何かとても重い身体の病気になってしま った、としか思えませんでした。
 それでも症状を持ちこたえながら、仕事に行っていました。職場でも、倒れて、パ ニックになりかかり、上司に延々と、この苦しい状態や、今まで抱えてきた悩みを、 泣きながら聞いてもらったりしました。すると上司は、私の様な発作を持ちながらも、 薬を飲んで職場で働いている人は何人もいるよ、と話してくれました。
 職場で、心を打ち明けた初めての体験でした。

 しかし数日後、今度はついに、本当に体が動かせなくなりました。
ひどいめまいで 腰が抜け、息苦しくて、職場の人に抱きかかえてもらいました。気が変になりそうで、 堪えられずに、また救急車を呼ぶはめになりました。
その後、精神科を紹介されるま で数日の間がありましたが、その間にも症状は悪化し続けて、洗面の間すら立ってい られませんでした。横になっても辛い状態です。気絶寸前の緊張状態が長く続き、精 神は錯乱していきました。救急車を呼んでたまるかと、その症状と必死で戦っていま した。精神科で強い精神安定剤を処方されてからは、その卒倒感から少し解放され、 やっと日常生活が維持できるようになっていきました。

この必死の体験により、職場でとても親身になって話をきいてくれる人たちが出来 ました。これまでの私は対人恐怖で、職場であいさつや返事をするのも苦痛でした。
子供の頃から、しゃべらない子、として通ってきました。故郷を離れ、一人社会に出 て、心機一転、自分を変えようと努力しましたが、結局は、家と会社の往復だけの生 活でした。友人、知人もほとんどなく、生活を維持するだけで精一杯の暮らしをして いました。
 しかし、元来抱えていた対人恐怖も死の恐怖の前では為す術もありません。森田療 法のことを以前から知っていた私は、もう躊躇することなくそこへ足を踏み入れまし た。かつて神経症で悩んできた方、悩まれている方たちは、とても親切でなじみ易く て、不思議と、私もすんなり心を開くことが出来ました。

 約半年間、森田療法の会の先輩が、本当に親身になっていつでも相談に応じてくれ、 優しく森田を教えてくれました。また、私をいろんな行事や遊びにも連れ出してくれ ました。
人生経験や人付き合いの乏しい私にとっては、初めての事ばかりでした。心 の狭い私は今まで何でも自分一人の力で生きていかなければならないと思っていまし た。神経症を克服した人達との出会いから、人の情けを本当にありがたいと思うよう になっていきました。
死の恐怖では散々苦しみ抜きました。しかし不思議な出会いの 縁を得てからの私は、自力ではなく他力も信じられるようになりました。自分の力で 何でもやろうとするのは強情だからだと解ってきました。
そんな中、半年間飲み続け た薬をやめて、自分と向き合おうと心に決めました。もう背水の陣でした。薬を止め た当初は、やはり辛さが戻り、やっぱり病気かと心配でした。いくら平静を取り繕っ ても、異常感や不安感は襲ってきます。それでも私は森田療法を信じ、襲ってくる不 安感を拒絶しないで受け入れていきました。襲って来る感情の波はやがて消失すると、 仕事に精を出しました。一日一日を大切に過ごしました。薬の服用を中止して1週間 程が一番辛かったと思います。

 薬を止めて三ヶ月が過ぎ、あの苦しみは一体何だったのかと不思議な夢の様な気分 です。
森田先生が言われる神経症はやはり病気ではなかったんだと、私のこれまでの 人間性に対する誤りが、症状となって現れていたんだと、実感出来ました。対人恐怖 のために自分が認められず、いつも悲観ばかりしていた私の目の前に、夢が大きく広 がりました。
 まだまだ森田療法をきちんと理解するのは難しい。でも神経症を克服された大先輩 に背中を押されて良くなったのは事実です。対人恐怖の私にも次々と新しい人生が展 開していきます。これからもこの大切な縁を活かして自分の未来を切り開いて行こう と、素直に思っています。

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体験発表 No.2
−インターネットで大発見− 男性 だいちゃん
 私は、幼少の頃より線が細い子であり、両親が非常に心配しておりましたが、野球、水泳となんにでも手を出すとても 元気な少年でした。
daiちゃん 学生時代は、趣味に没頭する毎日で、大好きなバンド活動も積極的にこなしていました。そんな反面とても 心配性で、ガスの元栓を何回も見に行くとか、車で出掛ける時、家の近くの信号で本当は大きな音も聞こえて居ないのに 「人をひいたのではないか」と不安になり、練習に間に合わなくなるのに20分かけてその場所まで戻って確認して安心する という事が度々あったのですが、その時はまさか自分が神経質だとは夢にも思ってもいませんでしたので、特に変だと意識せず また目的地に向かうといった状態でした。

  私は釣りも趣味で遠出をする機会が多くあり、その日も仕事を終わってすぐに出掛けると言った有様で、たまたま過労 による寝不足があったのでしょうか、高速道路を運転中に中央線にひき付けられるような感覚に陥り、とても恐怖に感じました。
それから私は高速道路に乗ることが非常に辛くなり、「なんだかおかしい、どうして?」と迷いを重ねていったのです。
とうとう耐え切れず大学病院の眼科と精神科を受診しても、異常なしで、一体何が原因なのだろうと更に悩みは深まってい くばかりでした。

  入社してからずっと夜遅くまで仕事をしていた私が、5年目で急にじっくりと考えて落着いて仕事が出来る部署に移動となり、 比較的時間も余ることが多くなりました。気持ちだけが空回りしていた私は「もっと仕事をしなくてはならない」 「もっと頑張らなくてはならない」といった気持ちで一杯でした。とうとう昨年の9月24日の誕生日、私はいままで 体験したこともない不安感に襲われ、発作を起こしました。 びっくりした私は母親に電話をして苦しさを訴え、早退し会社にまで迎えに来てもらいました。
それから心療内科を転々とし服薬も続けましたが、一向に良くならず、少しの体調の変化にもどんどん執着していくようになりました。 私は母親に「もう死ぬかもしれない」と泣きながら訴えて困らすこともありました。
しかし、そんな中でも会社への通勤は決してやめることはありませんでした。

  私は不安と戦いながら、自分の症状をインターネットで打ち込み、検索することで森田療法のことを知りました。
そこには「恐怖突入」という言葉があり、それから私は不安があっても目的から決して逃げないと心に決め、 毎日を過ごしました。しかしながら、まだ服薬は続けておりましたので、薬を飲まずに治療するという森田療法と、 薬物療法に大きな葛藤があり、もし飲んでなおるならと迷いながらも服薬を続けながら森田療法の勉強を続けていきました。

そんな中、私はインターネットで「メンタルヘルス岡本記念財団」のホームページを知り、その中にあった体験フォーラムに 参加することに決めました。そこは、Q&A方式となっており、個人の悩みを書き込んで管理者の方が解答するというものでした。
そこに私はこんな内容で困っていますと書き込みをすると、丁寧に解答を下さいました。苦しい時、とても支えになりました。

ある日私は東京へ2ヶ月間の出張を命じられました。
行こうか、断ろうか迷いましたが、逃げてはいけないと意を決し東京へと 出張に向かいました。帰ってから、私はどうしても治したいという一心から生活の発見会という自助グループに参加することにし、 積極的に財団のホームページにも参加するようになりました。
そして随分と回復した私は、そのホームページの管理者の方にどうしてもお礼が言いたくて会いたくなり、 そのことをページでお話しました。すると、私が参加しているこの自助グループに来てくださいと言われ、その会に逢いに行きました。
それがmanちゃん理事でありました。私はこの方のお話を聞くうちに、この人についていけば治ると確信しました。
その頃、このままではいけない、もう薬は飲まないと、薬とも縁を切ることにも無事成功し、森田に没頭していきました。 現在のメディアでは、インターネットというツールははあまり良い評価を受けませんが、私の場合は違いました。
初めはインターネットという世界でも、そこから現実の世界へと足を踏み入れ、どんどんと同じ悩みを持つ方々との交流を深めて、 森田を学んでいく事が出来たのです。

いま私は、不安は不安のままで手を動かし足を動かし、頑張っています。
また万代理事に教えて頂いた基礎体力の重要性や生活リズムの大切さにも気付き、自分の心を支える肉体を作るため、 片道15kmある自転車通勤を始めました。
森田療法で大切なことを気付かされました。それは「生身の人間」であったという事です。
調子が悪い時もあって当たり前なんだと言う事。当たり前ですが非常に大切な事だと思います。
私は神経質であったことを感謝し、また家族にもとても感謝しています。
これからも生涯森田に関わり学んで行きたいと思います。


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3人目、4人目の体験発表者はO夫妻です。
ご主人は森田療法を知って15年、強迫神経症・奥さんは森田療法を知って2年、症状はパニック障害です。

体験発表 No.3
−症状は持ちながら・・結婚出産へ− O夫妻(妻)やっちゃん


尼崎で生まれて育ち、35歳。一人っ子。
1.死への恐怖、発症の始まり
yaちゃん 幼少の頃、原爆のアニメ映画を観てから死んだらどうなるかを考え、その度に恐くて泣いていました。
また、死に対して恐怖感をもつ自分はおかしいのだと思っていました。小学生の頃は横断歩道の白線の数を数える事 がとまらなかったこともありました。そして高校一年の時、訳のわからぬ強い不安や眩暈、寒気、吐き気に襲われたのが 不安神経症の始まりでした。目を閉じると死んでしまうのでは、眠れない日もありました。

2.環境の変化による症状の悪化と森田との出会い
30歳の時、希望の職場に移動。しかし、それまでの忙しさから急に暇になった事と、人間関係がうまくいかないことで、 だんだんと無気力になっていきました。このままではいけない、何かしなくてはと再び簿記の勉強を始めます。
しかし試験直前に、問題を解けないことに強い不安と焦りを感じました。「どうしよう、頑張らなければ」そう思えば思うほど焦り、 頭に入らなくなり、過敏性腸炎が悪化していきます。授業が始まり戸が閉まるだけで、問題を見ただけで言い得ぬ恐怖感に襲われます。
本が読めません。それでもやらなければという気持ちはありましたが、勉強しているのかいないのか解らないような日々を 送っていました。
そのうち、今までにない不安感に一日中苛まれ、会社へ行く事ができなくなりました。物音が頭に響いて逃げ走り回りたくもなります。 「このままでは気が狂ってしまう」という恐怖心が高まり心療内科を受診。一時期薬を止めましたが、すぐに再発。 前よりもさらに症状が増してきました。
次に違う病院へ行ったところ、森田療法を薦められました。薬だけでは、一人では治せない。 もう、このままではイヤだ。普通に生活を送りたい。そこでインターネットで調べた事をきっかけに、森田理論の勉強を始めました。

3.断薬
症状をもったままでいいこと、発作が起きても逃げない事、基礎体力が必要な事、同じ森田理論を学ぶ先輩達に様々 なことを教えてもらいました。
すると、好きだった事がまた楽しんでできるようになってきます。おかげで症状が気にならなくなってきました。
そして、かねてからあった、やりたい事などの欲求も強くなってきました。
その中で相手がいるわけではなかったのですが、結婚問題だけがひっかかりました。
症状を受け入れていたつもりでしたが、やはり治ってから結婚した方がいいのではと考えていたのです。
服薬していては子供もできないとも思いました。「なんとかして薬を止めたい」勉強し始めて8ヵ月後、先輩達の助けを借りて 断薬することが出来ました。とても一人ではできなかったことです。

4.結婚から出産へと(症状はもったまま)
 それから間もなく先輩に仲を取り持っていただき、主人とお付き合いを始め、すぐに結婚を決めました。
しかし、まだ始まってもいない結婚という環境の変化に強い不安を抱き、またそういう不安があって結婚するのはいけないのでは・・・ などと何度か迷いました。
もう止めようかとも考えました。やはりここでも、不安があってはならないと考えていたのです。 しかし「自分の本当の希望は何なのか」という先輩の言葉で自分を取り戻すことができ、結婚したいのだから、とにかく進もう。 先輩達に背中を押していただき、話を再び進めました。
 その2ヵ月後の9月に妊娠がわかり、11月には結婚。あまりにも忙しく、立ち止まる暇などありませんでした。
前を向いていると症状の事など忘れてしまいます。そして今年5月に無事出産。主人との出会いから約一年、あっという間でした。

5.産後のブルー
 産後一ヶ月近い日、子供が何をしても泣きやまない事が増えてきました。
だんだんと泣き声を聞いただけで何処かへ行ってしまいたい気分になります。気が変になるのではないかとも思えてきます。 様々な事が浮かんできては不安が恐怖感にかわってきました。それがだんだんと、だるまのように膨らんできます。
自分が何を恐がっているのかもわからなくなってきました。
「イライラして子供が可愛いいと思えない時がある」と主人に話すと「感情は意のままにならない、可愛いいと思えないという 感情をどうにかしようとしないで、ともかくそのまま出来るだけのことをやっていこう」と言われ、少し落ち着きました。
「子育てから逃げちゃだめ」という実家の母の言葉では、症状から逃げようとばかりしていた時の事を思い出しました。
自分の症状で子供を振り回すわけにはいきません。苦しい事、感情からすぐ逃げよう、なんとかしようとするから神経症になったのです。 また、それを繰り返してしまうところでした。

6.流れのままに(これからの事)
yaちゃん 今も、赤ちゃんの日々変わる行動に一喜一憂しています。
だけど主人は「状況は日々変わっていくもの。その場に応じてやっていこう」と冷静に言います。
森田理論でいう「事実本位」ということなのでしょうか。固定観念にとらわれず、流れのままに進んでいきたいです。
 私には沢山の夢や、やりたいことがあります。森田を学ぶ前は、「平凡な生活なんてイヤだ、大きな事をしたい」などと現実離れ したことばかり思っていました。 だけど今は、日常生活を送れることがとても幸せに思いますし、平凡でいいから家族との生活、仲間との関わりを大切に 一日一日を過ごしていきたいです。

体験発表 No.4
−森田を学んで15年目の結婚・子育て− O夫妻(夫)onoちゃん


1. 森田理論との出会い
森田理論の出会いは、今から約15年程前までさかのぼります。
近所の本屋さんでたまたま見つけた森田理論関係の書籍で知りました。 当時、中々将来が見えてこず不安ばかりが増してきまして、このまま自分のようなものは生きていていいんだろうかといった不安で 毎日過ごしていました。
私は不眠症や強迫的なとらわれなどに当時煩わされておりまして、このまま解決せずに社会に出てはきっと だめだろう、生きていけないと思ってました。少なくともこれ以上悪くなる前に、よくなるかわからなかったけれども、森田理論の 世界に入ってみようと決めました。
当時私は22才でした。それから森田理論の解説書や克服体験談を読み、自分の考えが180度違って いることを思い知らされました。

2. 驚愕した森田理論
その本には、そもそも神経質症というのは、「神経の衰弱から起こるものではなく、ある特殊の気質の人に起こるものである。 これは病気ではない。」と書いてありました。すっかり自分は病気だと思っておりましたので信じられませんでした。
onoちゃん 続いて「だから、これを病気として治療してはけっして治らならい。ただこれを健康者として取りあつかえば容易に治る。」というふうに 書いてある。自分は病気或いは異常だと思っていたのが、実はまったく違っていたのです。そして、病人として治療しても根本的な 解決には至らないことを教えてもらいました。
また、この本にはまったくもって自分の症状や悩みがそっくりそのまま書いてあるではありませんか。これには私は驚愕しました。

3. 自覚なき苦しみ
こうして、私は森田理論を知り一時期の悩みからは次第に解放されるようになりました。
しかし、私の心の中では、中々、結婚問題を 長いこと引きづっていました。両親からは、20代後半くらいから、森田を学ぶ先輩からは会う度に早く結婚しなさい結婚しなさい、 と言われていました。何も考えてなかった訳ではありませんけれども、心のどこかに「こんな自分を好いてくれる人なんかおるんだ ろうか」とか「再び、神経質症を患って仕事が嫌になり相手に迷惑をかけてしまったらどうしよう」といった、そんな自己中心的な 不安にとらわれておりました。自分の心のどこかに自分勝手な「劣等感」を作り上げ、ひねくれた感情に惑わされ、周囲の人への 不信感や人生の無力感といった感情に支配されていきました。
そして日常、自分が一番気にするものは、自分が相手にどう映っているかといった<虚栄に満ちた体裁>のようなものばかりとらわれて、 やはりダメな人間なんではないかと思うようになりました。そして段々疲れていきました。そのうち「自分は結婚には縁がない。 そういう人生なんだ」と思うようになりました。そんな状況の中で今の家内との出会いがありました。

4. 強情な心
家内は僕のような者でも「結婚するならOさんがいいなあ」と、ある森田理論を学習する先輩に伝えていました。
それを聞いた先輩は早く伝えたかったせいか、翌日大阪から自転車で早朝8時半に私の家までかけつけてその事を聞きました。
結婚に関してはそういった状況でしたので、思わず「ほんとですか?」と聞き返してしまいました。「いや嘘じゃない。嘘だったらここまでこんな朝から来ないよ」 と言って先輩は帰っていきました。
その結果、僕はもうどうなってもいいから、今の情けない自分のままでも話しを進めることを決めま した。しかし、中々、思うように交際は進まず、道を切り開かない私に、先輩は「君はとても卑怯だ。そんな君を俺は知らない。」と 叱りとばされました。すでに挙式の日も決まっており、2ヶ月半前を過ぎていました。

5. 運命は切り開くもの
それから僕ら二人は変わり始め、将来について真剣に考え始め、二人して一切隠し立てすることなく徹底的に話し合い、結婚に向って 再び前に進み始めました。それに対し、先輩は「運命は耐え忍ぶには及ばない、切り開くものです。二人とも力を合わせなさい。 何事も明らかにするだけでよいのです。良い事も悪い事も。ただそれだけで、運を天に任せられる人間に変われます。」
その夜、二人して涙を流しました。
それからまもなく、家内のお腹に新しい生命が宿っていることを知りました。

6. 今、あるがままに生きる
妊娠中の家内は、出産まで3度の流産をしかけております。
挙式一月前の妊娠初期に一度、2回目は、無事式を終えてようやく落ち着いた 頃に。そして、3回目は、安定期に入ってまもなく、特に用心していたにも関わらず事はおきました。
お腹が痛むたびに、必死にお腹の赤ちゃんに向って話しかける家内の姿がありました。それをみて、男の僕は何もできず、いつもの自分の心配症が出てきて逆に家内を 不安がらせる結果となりました。だから、いつまでも自分の症状や不安に惑わされたり、安易な感情に振り回されていては周囲を 不安に陥れるということがわかりました。
そうして、ようやくこの5月に元気な女の子が生まれました。

7. 最後に 
これからも、夫婦で森田理論を日常で活かしていくために、森田の学習を続けていきたいと思っております。 森田理論は応用範囲が広く、子供の教育指導についても参考になることが多く紹介されています。
そして、これからも森田理論を通じて、自分たちの夢が少しでもかなえられたらいいと思っております。


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体験発表 No.5
−上り性の自分を認められずに− kobaちゃん


koba 私が生活の発見会を初めて訪ねたのは平成6年の春でした。
幼い頃を思い出してみますとやはり神経質でとても気の小さいおどおどとした性格だったと思います。
 小学校時代の教室では本読みの順番が廻ってくるのが怖くてドキドキと自分の鼓動が早く、大きくなってくるのがとても 苦痛でした。

 高校時代はこんな自分が世の中に出て人並に仕事をやっていけるのかと不安になり落ち込んだりする事がありました。 こんな自分を認められず、いつももっとしっかりした人間にならなくてはと自分の頭の中で葛藤していました。
今の職場に就職してからも自分の弱さを表に出さないようにとても苦労しました。
 私は今日の様な場面もそうですが、会議などの改まった場所での発表がとても苦手です。声はうわずって、震えてきます。 原稿を持つ手もこきざみに震え、これを止めようとするとますます震えてしまいます。このような場面を出来るだけ避けて 逃げていました。

 長年自分の欲望と全く正反対の方向へ努力をしてきたわけですから行き詰まってしまったのは当然の結果だったと言えます。
 平成6年の春に職場で私の昇格の噂が出ました。これは大変しっかりしなくてはと考えてしまいました。不安な気持ちを何とか 自分で押さえ込もうと努力しました。
その結果ますます不安は募り、悪循環に陥りました。それでも職場へは休まず歯を食いし ばって何とか行っておりました。不安でおろおろしている自分とこれを必死に押さえ隠そうとする自分が格闘していました。 いよいよ自分はおかしくなってしまったと思いました。

 初めて神経科のお医者さんを訪ねました。そのお医者さんが今日隣に座っておられるdai先生です。私の話を聞いてくださり、 薬は処方されずに森田療法の書籍を数冊貸していただきました。
 本を読んで全く自分のことが書いてあると思いました。
生活の発見会という自助グループがあることを知りすぐに入会しました。
初めて会を訪れて、会を運営されている先輩会員がとても親切で明るくてきぱきと動かれているのが印象に残っています。
私も早くこうなりたいなと思いました。私と同じような悩みで悩んでおられる方が一緒になって学習できることにとても安心しました。
相互学習の良さは、一人で勉強していてもなかなか分かりにくい事でも、共に学習する事によって色んな体験を共有できるという すばらしい面があります。
「森田」でよくいわれますが、人間の再教育であり、考え方の誤りをもう一度勉強し直す、そういう点もあります。

 仕事のほうは係長に任命されハラハラドキドキの連続でしたが、森田療法で教えていただいた考え方がとても役立ちました。
感情は意志の力ではどうする事も出来ない事、感情はどうあれ目の前の事に手を出していく事が大切である等。物事に集注してい るときには不安や恐怖を問題視していないことにも気がつきました。
 私はこれまで不安がとれないと日常生活はできないと思い込んでいました。しかし不安な感情はとる必要はなく、正常な感覚でなくてはならないものだという事が、勉強をするうちに段々と分かってきました。当時を振り返りますと、家族の事よりも自分の不安・症状の事が一番と、非常に傲慢な思いになっていた事に気づきました。  時間は掛かりましたがうす紙をはぐように症状へのとらわれから離れていくことが出来ました。
 辛いことや、なかなか受け入れ難い事であってもその時その時で最善を尽くしていくしかない。流れに乗っかって、 自分を大切にして行こうと思います。
 現実生活には色んな困難なことが出てきますが事実をよく見て生活していきたいと思います。


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続いて2名の方に森田療法に関するテーマに沿ってお話していただきます。

−森田療法と「今、あるがままに生きる」の共通性について−

daiちゃん(現在西宮にて心療内科を開業)

森田療法と「今、あるがままに生きる」の共通性についてですが、レジュメ の森田療法についての最後のところ、ー森田療法では、不安や不快感をなくそうとす るのではなく、人間が本来持っている「もっと思う存分によりよく生きていきたい」 というような欲望にそった生活、生き方をしていきますーとありますが、これが「あ るがままに生きる」ということです。
本日のテーマの「今、あるがままに生きる」は 森田療法の根幹ともいうべきものです。一般的には自然体という意味で使われていま すが、森田の「あるがまま」は自然体に加え、「よりよく生きたい」に向って行動す るアクティブな生き方です。

onisi 「あるがまま」を私自身の経験からご説明します。
私は精神科医として30年以上仕事をしていますが、中学生の頃から赤面恐怖症とい う神経症で苦しんできました。
赤面恐怖症というのは人と話す時や視線を受けると顔が赤くなる神経症です。
私は緊張して赤くなるのは恥かしいことだと考え、なんとか 赤くなるのを抑えようと思いましたが、抑えようと思えば思うほど赤くなりました。 人と会う時や会議のある時は、その前からドキドキしました。
森田療法については教科書で学んで知っていましたが、頭で理解するだけで、実際の 生活で実践することはありませんでした。

5年前から森田療法のグループで学ぶようになり、日常生活で森 田療法を実践するようになりました。
どのように実践したかと申しますと、緊張した り不安になり赤くなるのは自然なことで意識的に抑えられるものでなく、それはその ままにして、その場の目的に照準を合わせ、目的にそった行動を取るように心がけた のです。顔が赤くなっても人の言われることをしっかりと聞き、自分の伝えたいこと を伝えるという、当たり前のことを逃げないで続けたのです。

森田療法を実践する時に一番大切なのは「思い切る」こと、とにかく「踏み出す」勇気です。 精神科医が神経症になるなんてと、皆さんは思われるかも知れませんが、精神科医だ からどっしりと落ち着いていなければならないという思いがあったので、神経症に なったのだと思います。

私たちは不安があるとこれを取り除こうとします。
しかし、不安は私たちの影のよう なもので、、私たちが存在する限り影も存在します。影を消すことは私たちが死なな い限り不可能なんです。
影を伴う私たちの実像は「よりよく生きたい」という願望で す。大切なのは、この願望を行動に移すことで、影である不安を消すことではないの です。影のような不安はそのままに、「よりよく生きたい」という思いを大切に行動 することが「あるがまま」ということです。


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−森田療法と他の精神療法の違いと適応対象について−

manちゃん氏(現生活の発見会の理事)

まずは、森田療法の核心部分をみなさんに聞いていただきたいと思います。 これは昭和9年に森田先生の声をレコードに録音した「神経質講義」というものです。

-------- テープ流れる ---------
かつて私が定義を与えたところの『神経質』というものについてお話しいたします 。これはもと、神経衰弱といいならわしてきたもので、この神経衰弱は複雑なる生活 から起こる文化病とか、心身過労の結果起こるものであるとか一般にいわれています けれども、これらはみな誤った考え方であります。神経衰弱という病名は、むかしアメリカのベアードという人がつけたもので、それいらいいろいろの病理説がとなえられ、物質的あるいは精神的にほとんどかぎりのない治療法が試みられていますけれども、そんなことではけっして治りません。治ったようでも間もなく再発して、慢性不 治のものとなります。ところが、私がこの病気の本態を発見していらい、ようやくこれを根治することができるようになりました。 一口にいえば、この病気は精神的に気のせいで起こるもので、けっして神経の衰弱 から起こるものではありません。
これは主として、ある特殊の気質の人に起こるもので、私はこれを『神経質』と名づけて、神経衰弱という病名を否定したのであります。
せんじつめれば、じつはこれは病気ではありませんから、これを病気として治療してはけっして治りません。
ただこれを健康者として取りあつかえば容易に治るのであります。これから起こる症状は種々雑多で、ほとんどきわまりがありません。
頭痛もちとか・女の血の道、持病の癪とかいうものも、この中に属します。普通ありふれの 不眠、耳鳴り、めまい、心悸亢進、 脈摶結帯、胃のアトニー、下痢便秘、腰の痛み、 性的障害、その他頭がぼんやりして読書ができないとか、手がふるえて字がまったく 書けないとか、あるいは赤面恐怖、不潔恐怖、その他さまざまの強迫観念があります 。中には、まる二年来まったく眠らないとか、 鼻の先がチラチラして気になるとか、 あるいは口の中がムズムズしていつも心がそのことばかりに執着していることが数年にわたる とか、ほとんど思いもよらないような症状がたくさんにあります。
これらの症状は、従来の医学が考えたように、けっして神経の過敏でもなければ、神経の衰弱とか意志薄弱とか、精神の変質 とかいうものでも何でもありません。
これはじつは、何かの機会に、普通の人のだれにでも起こる不快の感覚をふと気にし出したということから始まり、 のちにはこれを神経質の性質、つまり自己観察がつよくてものごとを気にするということから、つねにこれを取り越し苦労す るようになって、 あけくれそのことばかりに執着するために、だんだんにその不快感覚が憎悪するようになります。
のちにはそれがあたかも夢におそわれているときのように、事実でないものをその本人の身にとっては実際に重い病気にかかって いるような苦悩にかられるようになるものであります。それは神経質の患者がつねに申し合わせたように告白するところの、 「他人からはまったく病気でないように見えて、ただ自分ばかりが苦しい。こんな損な病気はない」というとおりであります。
すなわち実際の病気ではないということは、これによってもわかるのであります。
この私の発見は、コペルニクスの地動説にも比較することができるかと思います
--------- テープ止まる ----------

このテープは6分ぐらいですが時間もありませんので、このへんで止めます。
manちゃん  森田正馬先生の偉さは、神経症を治す森田療法を創始するまでに、既存の治療法を 次々と追試したことです。その結果、今まで病気として扱っていた患者は、実は病人 ではないのだということを発見したのです。
 これによって、神経質の症状は、探せば誰にもあるもの、治せないもの、いや治し てはいけないもの、さらに、それを長所として伸ばしていくべきものである、という ことが分かったのです。症状は正常な人間誰にでもある感情を排斥しようとした結果おこったものです。
 通常の精神療法と大きく違う点は、治癒像として次の三つが挙げられています。  (一)症状の改善、(二)適応性の回復、(三)自己洞察(何が原因で病気になっ たのかを知ること)だと思います。

 森田療法による治癒像は、(二)(三)は同じですが、(一)を最初から 問題にしていない点です。しかし、その結果は立派に症状の改善につながっていくの です。
その観点は神経症が病気ではないというコロンブスの卵の着眼点なのです。
 神経質者にとってあらゆる症状は外的な要因ではなく、全て自分で起こしています。 なぜ自ら発症するかは、とらわれとはからいが強いためです。
とらわれとは、心が何 かに釘付けになって動かなくなって苦しむことです。はからいとは、とらわれた結果 起った苦しみからどうすれば抜け出せるかと、あれこれ無駄な努力をすることと考え れば解りやすいと思います。とらわれもはからいも共に苦しい心の状態であることは 間違いないことです。

 お手元に森田的な健康な心を支える12ヵ条を皆さんにお配りしましたが、私はこれ に加えて神経症の苦悩の最中にあるものは、ややもしますと体力の低下がみられます。
私は26歳に発病して森田に出会い、その考えを背景に兎に角、悩む心を支える体力 を作ろうと今日まで歩け歩けで参りました。おかげで私の身体は真っ黒です。
 私達は普段何不自由なく手も足も使っているように思いますが、実は人類が今日繁 栄したのは、手と足を使い始めたからです。
他の動物たちより何よりも脳が発達した のは、両足で立って歩いたからに他ならないのです。そのことを私達は忘れ、頭で考 えれば何でも解決できると錯覚していた訳です。

聞く人々 森田先生は私達神経質者に「我思う故に我あり」の哲学的思想を改めさせ、「我動 く故に我あり」と大いに諭したのです。先生はりんごがどんなものであるかを我々に 説明させます。
私達は理知的ですからすぐに「りんごは赤くて丸い」などと理屈で答 えます。
先生はそんなことだから駄目だと諭します。先生はりんごの皮を剥きみなに 食べさせます。どうだ、これがりんごだとみなに教えます。
このように日常ありふれ の生きていくための動きの一つ一つを先生は我々と共に人間再教育に立たれたのです。
日常生活でああだこうだと頭でやりくりしないで実際に手を付けてみなさいということです。
神経質症で悩んでる方は合理的な精神を持っておられるので少しでも楽に生きたいという思いが強いところがありますが、 私達もそういう部分が間違っていたんだなと思います。

森田療法がどんな心の病気にでも効果があるか、については誰でもということではないかと思います。
いろんな症状、状態は一見同じに見えるかもしれませんがその根底に「神経質である」ということが必要です。
神経質でなくても同じような症状を持っておられる方もいらっしゃいますが、森田先生も、その状態を治されるのではなく 神経質者ならこういうものの考え方、基盤を再教育してやればその症状は問題でなくなるんだよということを先生は我々に 教えています。

〜質問タイム〜
Q:昔抑うつ神経症と診断されたこともあるのですが、ぜんそくで薬をのんでいるので動機があったりもします。
しんどいので病院に行くと身体でなく心の問題だと言われたりします。
身体も心もつながっているので病院の先生にきついことをぽんぽん言われても傷つきます・・。
森田療法や生活の発見会のような自助グループはどのようなことをされているのでしょうか?私にもあうのでしょうか?

dai先生:
ご質問されたかたの場合身体の病気が主だと思いますが、高血圧、癌も広い意味では心身症であると言われています
身体的な病気でも心の持ち方が大切です。その心の部分については森田療法は有効なものだと思います。
症状を受け入れて「あるがまま」に行動することだと思います。

M代氏:
森田療法、生活の発見会の立場では、病気を治すというより森田先生の生き方、考え方を共感できるかたが学んでいる という感じです。
森田の本もたくさん出ています。お医者さんだけではなく、経済学者の渡辺利夫さんや裁判官だったかたが書かれたりもしています。 本を読まれてこの森田療法の考え方であれば私もやってみたいなと思われたら我々の会合にも参加されてみたらいいと思います。
身体の病気をもっておられる方で参加されているかたもおられます。神経質という根っこがあり身体の病気も持っているというかたは 森田療法についていかれてます。
岡山の伊丹先生というかたが森田を活かして「生き甲斐療法」というのをされています。末期の癌患者さんを対象にされてい ますが、モンブランに登頂されたり毎年富士山にのぼられたりしています。
病気であっても病人ではない生き方をわかっていただけたらと思います。病気は仕方がない、 実際に誰でもなってしまうこともあるが病人にはなりたくないという思いで私は30代前半森田療法に飛び込んでいきました。 現在54歳になりますが森田を学んでその後一切薬もいらない生活を過ごしています。
もし森田療法に共感されるようでしたらぜひ発見会で学んでみてください。

以上

とじる