3人目、4人目の体験発表者はO夫妻です。
ご主人は森田療法を知って15年、強迫神経症・奥さんは森田療法を知って2年、症状はパニック障害です。
体験発表 No.3
−症状は持ちながら・・結婚出産へ− O夫妻(妻)やっちゃん
尼崎で生まれて育ち、35歳。一人っ子。
1.死への恐怖、発症の始まり
幼少の頃、原爆のアニメ映画を観てから死んだらどうなるかを考え、その度に恐くて泣いていました。
また、死に対して恐怖感をもつ自分はおかしいのだと思っていました。小学生の頃は横断歩道の白線の数を数える事
がとまらなかったこともありました。そして高校一年の時、訳のわからぬ強い不安や眩暈、寒気、吐き気に襲われたのが
不安神経症の始まりでした。目を閉じると死んでしまうのでは、眠れない日もありました。
2.環境の変化による症状の悪化と森田との出会い
30歳の時、希望の職場に移動。しかし、それまでの忙しさから急に暇になった事と、人間関係がうまくいかないことで、
だんだんと無気力になっていきました。このままではいけない、何かしなくてはと再び簿記の勉強を始めます。
しかし試験直前に、問題を解けないことに強い不安と焦りを感じました。「どうしよう、頑張らなければ」そう思えば思うほど焦り、
頭に入らなくなり、過敏性腸炎が悪化していきます。授業が始まり戸が閉まるだけで、問題を見ただけで言い得ぬ恐怖感に襲われます。
本が読めません。それでもやらなければという気持ちはありましたが、勉強しているのかいないのか解らないような日々を
送っていました。
そのうち、今までにない不安感に一日中苛まれ、会社へ行く事ができなくなりました。物音が頭に響いて逃げ走り回りたくもなります。
「このままでは気が狂ってしまう」という恐怖心が高まり心療内科を受診。一時期薬を止めましたが、すぐに再発。
前よりもさらに症状が増してきました。
次に違う病院へ行ったところ、森田療法を薦められました。薬だけでは、一人では治せない。
もう、このままではイヤだ。普通に生活を送りたい。そこでインターネットで調べた事をきっかけに、森田理論の勉強を始めました。
3.断薬
症状をもったままでいいこと、発作が起きても逃げない事、基礎体力が必要な事、同じ森田理論を学ぶ先輩達に様々
なことを教えてもらいました。
すると、好きだった事がまた楽しんでできるようになってきます。おかげで症状が気にならなくなってきました。
そして、かねてからあった、やりたい事などの欲求も強くなってきました。
その中で相手がいるわけではなかったのですが、結婚問題だけがひっかかりました。
症状を受け入れていたつもりでしたが、やはり治ってから結婚した方がいいのではと考えていたのです。
服薬していては子供もできないとも思いました。「なんとかして薬を止めたい」勉強し始めて8ヵ月後、先輩達の助けを借りて
断薬することが出来ました。とても一人ではできなかったことです。
4.結婚から出産へと(症状はもったまま)
それから間もなく先輩に仲を取り持っていただき、主人とお付き合いを始め、すぐに結婚を決めました。
しかし、まだ始まってもいない結婚という環境の変化に強い不安を抱き、またそういう不安があって結婚するのはいけないのでは・・・
などと何度か迷いました。
もう止めようかとも考えました。やはりここでも、不安があってはならないと考えていたのです。
しかし「自分の本当の希望は何なのか」という先輩の言葉で自分を取り戻すことができ、結婚したいのだから、とにかく進もう。
先輩達に背中を押していただき、話を再び進めました。
その2ヵ月後の9月に妊娠がわかり、11月には結婚。あまりにも忙しく、立ち止まる暇などありませんでした。
前を向いていると症状の事など忘れてしまいます。そして今年5月に無事出産。主人との出会いから約一年、あっという間でした。
5.産後のブルー
産後一ヶ月近い日、子供が何をしても泣きやまない事が増えてきました。
だんだんと泣き声を聞いただけで何処かへ行ってしまいたい気分になります。気が変になるのではないかとも思えてきます。
様々な事が浮かんできては不安が恐怖感にかわってきました。それがだんだんと、だるまのように膨らんできます。
自分が何を恐がっているのかもわからなくなってきました。
「イライラして子供が可愛いいと思えない時がある」と主人に話すと「感情は意のままにならない、可愛いいと思えないという
感情をどうにかしようとしないで、ともかくそのまま出来るだけのことをやっていこう」と言われ、少し落ち着きました。
「子育てから逃げちゃだめ」という実家の母の言葉では、症状から逃げようとばかりしていた時の事を思い出しました。
自分の症状で子供を振り回すわけにはいきません。苦しい事、感情からすぐ逃げよう、なんとかしようとするから神経症になったのです。
また、それを繰り返してしまうところでした。
6.流れのままに(これからの事)
今も、赤ちゃんの日々変わる行動に一喜一憂しています。
だけど主人は「状況は日々変わっていくもの。その場に応じてやっていこう」と冷静に言います。
森田理論でいう「事実本位」ということなのでしょうか。固定観念にとらわれず、流れのままに進んでいきたいです。
私には沢山の夢や、やりたいことがあります。森田を学ぶ前は、「平凡な生活なんてイヤだ、大きな事をしたい」などと現実離れ
したことばかり思っていました。
だけど今は、日常生活を送れることがとても幸せに思いますし、平凡でいいから家族との生活、仲間との関わりを大切に
一日一日を過ごしていきたいです。
体験発表 No.4
−森田を学んで15年目の結婚・子育て− O夫妻(夫)onoちゃん
1. 森田理論との出会い
森田理論の出会いは、今から約15年程前までさかのぼります。
近所の本屋さんでたまたま見つけた森田理論関係の書籍で知りました。
当時、中々将来が見えてこず不安ばかりが増してきまして、このまま自分のようなものは生きていていいんだろうかといった不安で
毎日過ごしていました。
私は不眠症や強迫的なとらわれなどに当時煩わされておりまして、このまま解決せずに社会に出てはきっと
だめだろう、生きていけないと思ってました。少なくともこれ以上悪くなる前に、よくなるかわからなかったけれども、森田理論の
世界に入ってみようと決めました。
当時私は22才でした。それから森田理論の解説書や克服体験談を読み、自分の考えが180度違って
いることを思い知らされました。
2. 驚愕した森田理論
その本には、そもそも神経質症というのは、「神経の衰弱から起こるものではなく、ある特殊の気質の人に起こるものである。
これは病気ではない。」と書いてありました。すっかり自分は病気だと思っておりましたので信じられませんでした。
続いて「だから、これを病気として治療してはけっして治らならい。ただこれを健康者として取りあつかえば容易に治る。」というふうに
書いてある。自分は病気或いは異常だと思っていたのが、実はまったく違っていたのです。そして、病人として治療しても根本的な
解決には至らないことを教えてもらいました。
また、この本にはまったくもって自分の症状や悩みがそっくりそのまま書いてあるではありませんか。これには私は驚愕しました。
3. 自覚なき苦しみ
こうして、私は森田理論を知り一時期の悩みからは次第に解放されるようになりました。
しかし、私の心の中では、中々、結婚問題を
長いこと引きづっていました。両親からは、20代後半くらいから、森田を学ぶ先輩からは会う度に早く結婚しなさい結婚しなさい、
と言われていました。何も考えてなかった訳ではありませんけれども、心のどこかに「こんな自分を好いてくれる人なんかおるんだ
ろうか」とか「再び、神経質症を患って仕事が嫌になり相手に迷惑をかけてしまったらどうしよう」といった、そんな自己中心的な
不安にとらわれておりました。自分の心のどこかに自分勝手な「劣等感」を作り上げ、ひねくれた感情に惑わされ、周囲の人への
不信感や人生の無力感といった感情に支配されていきました。
そして日常、自分が一番気にするものは、自分が相手にどう映っているかといった<虚栄に満ちた体裁>のようなものばかりとらわれて、
やはりダメな人間なんではないかと思うようになりました。そして段々疲れていきました。そのうち「自分は結婚には縁がない。
そういう人生なんだ」と思うようになりました。そんな状況の中で今の家内との出会いがありました。
4. 強情な心
家内は僕のような者でも「結婚するならOさんがいいなあ」と、ある森田理論を学習する先輩に伝えていました。
それを聞いた先輩は早く伝えたかったせいか、翌日大阪から自転車で早朝8時半に私の家までかけつけてその事を聞きました。
結婚に関してはそういった状況でしたので、思わず「ほんとですか?」と聞き返してしまいました。「いや嘘じゃない。嘘だったらここまでこんな朝から来ないよ」
と言って先輩は帰っていきました。
その結果、僕はもうどうなってもいいから、今の情けない自分のままでも話しを進めることを決めま
した。しかし、中々、思うように交際は進まず、道を切り開かない私に、先輩は「君はとても卑怯だ。そんな君を俺は知らない。」と
叱りとばされました。すでに挙式の日も決まっており、2ヶ月半前を過ぎていました。
5. 運命は切り開くもの
それから僕ら二人は変わり始め、将来について真剣に考え始め、二人して一切隠し立てすることなく徹底的に話し合い、結婚に向って
再び前に進み始めました。それに対し、先輩は「運命は耐え忍ぶには及ばない、切り開くものです。二人とも力を合わせなさい。
何事も明らかにするだけでよいのです。良い事も悪い事も。ただそれだけで、運を天に任せられる人間に変われます。」
その夜、二人して涙を流しました。
それからまもなく、家内のお腹に新しい生命が宿っていることを知りました。
6. 今、あるがままに生きる
妊娠中の家内は、出産まで3度の流産をしかけております。
挙式一月前の妊娠初期に一度、2回目は、無事式を終えてようやく落ち着いた
頃に。そして、3回目は、安定期に入ってまもなく、特に用心していたにも関わらず事はおきました。
お腹が痛むたびに、必死にお腹の赤ちゃんに向って話しかける家内の姿がありました。それをみて、男の僕は何もできず、いつもの自分の心配症が出てきて逆に家内を
不安がらせる結果となりました。だから、いつまでも自分の症状や不安に惑わされたり、安易な感情に振り回されていては周囲を
不安に陥れるということがわかりました。
そうして、ようやくこの5月に元気な女の子が生まれました。
7. 最後に
これからも、夫婦で森田理論を日常で活かしていくために、森田の学習を続けていきたいと思っております。
森田理論は応用範囲が広く、子供の教育指導についても参考になることが多く紹介されています。
そして、これからも森田理論を通じて、自分たちの夢が少しでもかなえられたらいいと思っております。