● プラスの行動とはどういうものですか?
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- 建設的な行動、人の為になるような行動です。
- 掃除をする場合だと全部くまなくきれいにしようとするのではなく、観察して
こことここを掃除すればいいというふうにすればよいです。
何をすればいいか建設的に考えて行動しましょう。
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----- 森田先生のことば --------------------------
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仕事と遊び事・義務と道楽という事については、私の「恋愛の心理」の本の内に書いてある。
禅では、仕事に熱中する事を、遊戯三昧といってある。三昧とは、「なりきっている」という
事であろうと思う。私はこれを「物そのものになる」という。
診察をすれば、なんとか適切に治したい。風呂焚きをすれば、ごみをうまく整理して上手に焚き、
一同に滞りなく風呂に入らせたいと思い、この原稿を書けば、なるたけ人に読みやすく、
理解しやすく直ちに有効になるようにと、一心不乱になる。これが三昧である。
子供が砂いじりをしたり、積み木をしたりする心持と同様である。
これに反して、自分はこれだけの月給を取っているから、それ相当の勤務をしなければならん、
「一月働かなければ一月食わず」というから、風呂焚きもしなければならん、人に頼まれた事は、
これをいとうようでは、義務が立たない、男らしくないとかいうのが、仕事であり義務である。
「世の中に我というもの捨てて見よ、天地万物すべて我物」という歌がある。
この 「我を捨てる」
という事は、人が思い違いやすいし、また実は不可能でもある。それ故に私は、
「何事もそのものになってみよ、天地万物すべて我物」という風に、いい換えて見たのである。
いま、十円紙幣が、風に吹き飛んでいる。ハッと思って、つかまえてくる。その時に「物そのものになっている」。
これに反して、その飛んでいるのをみて、アレは誰のであろう。自分のは、ガマ口の中に入れたから、
飛ぶはずはないとか考えていれば、それは「人の物」である。
あるいは幼児が、井戸のそばへ這いかかっている。驚いて裸足で飛び出して、これを抱きあげる。
これが「物そのものになる」である。アレはどこの子かしらん、子供一人くらいは、
どうでもよかろうと思えば「人の子」である。町の大掃除のところを通れば、風呂の燃料が沢山に捨てられてある。
これを利用すればよかろうにとか、あるいは青物市場には、貧民が沢山に生活しうるくらいの、食料が捨てられてある、
惜しい事だとか、すべて物そのものの気持になれば、決して自他の隔てなしに、
すべてが我物を大事にする心持と、同様になってしまうのである。 (森田正馬全集 第5巻 P.386〜387)
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