● 欲望(生の欲望)について
  • 「生の欲望」とはよりよく生きたい、自己実現したいという欲望です。
  • こういう自分であってはいけない、こうあっては困るという部分の裏返しでは……。
  • 理想が高すぎると現実とのギャップに悩むことになります。
  • 事実を見る目を養っていけば、無理のない正しい理想像が得られます。
  • 「本来の欲望」はよくわかりませんが不安の奥にある欲望を明確にするようにしています。
  • 欲望が強すぎるために自己防衛に走ってしまい自分を苦しめることになります。
  • 日頃から不安や症状と格闘しない態度を身につけるようにしています(症状に対するむなしい努力をやめる)。闘わない態度がどういうものなのか体験することが大切です。
  • 「体調がいつもすっきりしなければならない」「まわりのすべての人に認められなくてはいけない」などは誤った認識です。正しい欲望、自己実現したいという欲望に沿って挑戦することは苦しいが満ち足りた達成感が味わえます。
----- 森田先生のことば --------------------------
目に触るるまゝに、下駄の鼻緒の切れたのを直おす。塵取の破損したのを修繕する。 今迄習った事なく、した事のないのに、やって見ればチャーンと出来る。之が吾人の生活上如何なる境遇にも 適応する事が出来るという事、人のする事に何でも出来ない事はないという事の自信の起る出発点である。 又フト縁側のカナリアに眼がつく。その籠を掃除し、水をかえ、菜葉をやる。之が自然の愛の発露である。 或は女中に代って、風呂を焚いてやる。之が今日流行のいわゆる社会奉仕である。是等は皆、生の欲望から発展して 来るところの自然の活動である。決して生活の手段のため、愛のため、さては社会奉仕の目的等でするのではない。 小児が絶えず活働し、小犬が親とフザケているのも、皆自然の衝動であり欲望であって、決して訓練のためとか発達の目的とか、 そんなケチな価値批判や義務観念などはない。

 吾人の知識はしばしば悪く働くために、倹約とか礼儀とか研究とか皆自分の行動を思想の鋳型にはめようとして、 あたかも鏡に向って自分の髪をつもうとする時、ハサミがアべコべになって思う様にならぬという風の思想の矛盾に陥る事が多い。
此思想の矛盾のために、孔子のいわゆる明徳がくらまされて、しばしば自欺に陥り、生の欲望の真の発露というものが分からなくなってしまうのである。

                     小児がようやく歩く頃、数寸の高さの閾から飛びおりて、いみじう悦び興ずる事がある。自己の実力発展の誇りであり悦びである。吾人は自分独りの境涯にあって人にかかづらう事のない時に、下駄の鼻緒でも、風呂焚でも、絶えざる心身の工夫、努力成功の誇りと悦びのあるという事を自覚しないであろうか。之は小児が閾を飛びおりた感興と同様である。「君子は其独りを慎む」という諺があるが、「真人は其独りを楽しむ」とでもいって、此意味を模する事は出来ないであろうか。  今、風呂焚をする。石炭の一切れも無駄にせず、最も有効能率的に湯を沸かし、湯水を使うにも、最も之を倹約する事を工夫する。
之が純なる生の欲望である。かりに余に就て例して見れば、風呂焚の時間に原稿でも書けば、石炭の倹約は物の数にもならない。
又原稿料よりは診察料の方が比較にならぬ程利益である。こういう風に価値批判に捉はれた時には、更に進んでは大仕掛けに患者を 多数吸収した方がよいとかいう事にもなり、結局は泥棒が最後の得策であるという事になる。此風呂焚と泥棒との間に、人々各々 其持前の種々の程度の生の迷いがあるのである。然るに生の純なる欲望から出発した時にはこんなような思想の矛盾から起る迷いはない。 風呂を焚く時に風呂を焚くのは、患者の来た時に診察し、研究問題の起った時研究室で作業するのと全く同じ心持ちである。
其場合場合に起こる主観的の心境であるからである。純なる生の欲望から発展する風呂焚きの作業は、 学者の研究、芸術家の感興、発明家の努力に於けると同様の心境でなければならない。 小さい卑近な価値批判の余地を残さないのである。

 思想の矛盾を離れた自然の生の欲望の発露する時に、如何なる時にも、場所にも、境遇にも、絶えぎる心身の活動と緊張とがある。
如何なる事にも、その人自身のべストの適応性を発揮する事が出来る。狭い庭に立っても、必ず其処に何かの仕事があり、 研究問題がある。不眠の時には冥想を楽しみ、絶対臥褥の時には天井板の木目の研究をする。学生となり、玄関番の書生となり、 さては病人になっても、各々それに適応するところの生の欲望が発揮されて来る。ダルウインは少年時甚だ病弱であった。
後藤子爵は少時県庁の給仕であったとの事である。此生の欲望に乗りきった時に努力に対する苦痛もかんじなければ、 死の恐怖というものもない。
(森田正馬全集 第3巻 P.110〜111)
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