● 神経質症は病気ではないといいますが・・?
  • あるきっかけで気になってしまったことはしょうがないが、気になったそのことばかりを観察して しまった結果、病気と同じ様な感覚になってしまったのです。
  • 病気というより一つの性格の癖、傾向としてとらえればいいのではないでしょうか
<ポイント> 神経質症は器質的な病気ではありません。人間性に対する誤った認識からおこります。
----- 森田先生のことば --------------------------
実際に器質的若しくは他覚的のものではなくて、皆主観的の単に自覚的の症状であって、 後に述ぶる精神交互作用によって起こるものである。而して其外面的の形は、生活に対する 抵抗力の虚弱のように見えて、即ちベアード氏のいわゆる刺激性衰弱の相を表すけれども、 実は単に表面的見かけのものであって、余は之を仮性若しくは似而非なる刺激性衰弱と名づけたのである。
(森田正馬全集 第2巻 P287)

神経質はヒポコンドリー(*1)性の傾向、若しくは精神的又は感触的基調があるから、 例えば眼瞼がピリピリと攣縮するとか、気分がうっとりするとか、心臓の鼓動が響くとか、普通人に日常ありがちの 事をついつい感覚すると共に、之を病的に非ずやと疑い、一度此の疑いが起これば、常に注意が其の方に引き付けられ、 為に微細に且つしばしば感覚するようになり、従って注意は益々その方に過敏となり感覚はいよいよ鋭敏となる。
此の感覚と注意と互いに益々募って行くといういわゆる精神交互作用により、ついには之を病的と信じ、感情は常に之に執着して、 憂慮、恐怖、不安となるに至るのである。

之が普通の人ならば、之と同様若くは之より強い不快感があっても、それをありふれの事として心に止めず、 打ちやらかしにするから直ぐ忘れてしまい、気も付かないのである。此の注意という事は、その人の嗜好とか、 心の傾向によって、ある人は甚だ興味を惹いて注意を其の方に集中する事も、他の人には全く気が付かない事がある。 之がいわゆる天才等の出来る所である。例えば心の傾向に従って、同じ街を歩いても、女は呉服屋に気がつき、下戸は 菓子屋が目に留まる。
新聞を読んでも、金儲に熱心なものは相場の欄に心を注ぎ、神経質は薬や治療法の広告を決して見のがす事がないようなも のである。斯の如く吾人は注意を集中するという事によって、感覚は強くなり、反復し練習する事によって、ますます鋭敏となる。 即ちいわゆる感覚域が低くなり、些細な普通の人には全く気の付かぬ刺激にも之を感ずるようになる。、<・・中略> 病覚が過敏であった時には、普通ありふれの感じをも、一々病的に感じて取越苦労をし、之に対して益々苦痛を起こすようになる。 これが即ち此の神経質である。
(森田正馬全集 第1巻 P.254〜255)
とじる