2005年7月
【前半】『対人恐怖の治し方』(森田正馬先生著 より)
吾人が毛虫をいやらしいと思うのは、吾人の感情の真実であって、動かすことの出来ない事実である。 これを好きにしたり、気持ちよくすることは出来ない。また、一方には毛虫は、人に飛びつくもの ではないと、ということは、毛虫そのものの事実である。毛虫をいやらしく感じないようにしよう とするは、感情の事実を無視する、不可抗力の努力である。毛虫に植木を食われるがいやさにそれが 人に飛びつかぬ性質を知って、いやらしきままに、これを取り除けるのが、吾人の正しい行動である。
しかしてその結果は、毛虫が全くいやらしくないという心境になっているのである。これがまた、 一方から見れば、私のいわゆる「欲望と恐怖の調和」である。
人に対して、恥ずかしいというのも、これと同じく、吾人の感情の動かすことの出来ぬ事実である。 この事実、唯真たる所以を知るのを自覚という。また、一方には、吾人は努力、修養によっては、 どんな偉い人にもなれるということは、人生の事実である。すなわち優れた人を見て、これを羨み、 これをまねし、勉強すれば、そこに絶えざる人格の向上がある。
恥ずかしがらないようにと、不可抗力 の努力をするは、無知、無自覚の甚だしいもので、自分より優れたものを羨むかわりにいたずらにこれ をそねみ、のろい、排斥して、人の長所を学ぶことが出来ず、自分はますます向下して劣等になるばか りになる。これこそ、恥ずべきことでなくて、何であろう。
・「欲望と恐怖の調和」この一線を越えなければよくならない。
・自転車でのスピードについて時速50キロは恐いから、こいでない状態(時速4キロ位)で、 前にすすもうとするから、ふらつく。 本当はハラハラ、ドキドキの時のスピードがいちばん良い。(調和がとれている。)
・自分の心地良いスピード(リズム)で、よどみなく生活できたらいい。
・対人恐怖は、相手の思惑が気になる恐怖と自分の話したい欲求、相手に良く 思われたい欲求との調和。
ハラハラ、ドキドキしながら話す→普通になる→ハラハラ、ドキドキを取り除かなくて いいと思えるようになる。

Q、「不安を異物視してはいけない」?

・私たちは「かくあるべし」にとらわれていると、安心するところがある。不安は異物視して良い。しないと危ない。 また、異物視するか、しないかに、こだわらなくていい。
森田先生は、「怖いものは怖い」と教えている。素直に感じたままでいい。
→不安はあって当然、持ちながら生活をしていく。
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【後半】森田正馬全集5巻

◆P116 でたらめで気合術をやった
・気合術=精神療法のイメージ
・神経質者は気合術にかかりにくい人が多い。
・疑い深い
・気の研究会でパニック障害を治そうとしたが、不安神経質症は治らなかった。
・気合術を受けても、その場から離れると症状が起こる。
・神経質者は純なる心を持っているが、ちゃんとした理論がないと治らない。
・不安は異物視するものだ。
・過去を捨てずに認めたらよい。認めて出発する。
◆P119 自分ばかりが気味が悪いのではない。
「生きた魚を料理し、あるいは雀を殺す事など僕でも、誰でも決して気持ちの良いものではありません。
それを神経質の特徴として、特に自分ばかりが、非常に敏感に感じ、気が小さくて卑怯だが、 他の人は平気で大胆であるかという風に考えるものであって、これは物の批判の間違いである。
・神経質者は、自分だけを特別視してしまう。
 自分で気がついてその癖を治して行くしかない。
・誰でも同じというが、個人差があるのでは??
・対人恐怖の人は普通の人より、自分だけが対恐怖の人の感覚を持っているとおもっているのですか?
 *同じに感じているけど、自分は特に気にしている部分 がある。
 *他の人は対人があっても、気にしていない。自分はそこで、ひっかかっている。

・「対人恐怖を感じるのはどんなときですか?」
 *緊張している自分を見られたくない。
 *意識が強い。

  ・「何が一番嫌ですか?」
 *症状が出て、どうしていいかわからなくなる時
 *人に対して、苦手意識が出たときその人から逃げ出したくなる。
 *人にどう思われるか気になる。
 *人に良く思われたいことが症状なのでは?恐怖症と呼ぶのはおかしい。
 *人に好かれなくても、仕方ないと思う。
とじる