2005年4月
【前半】『対人恐怖の治し方』(森田正馬先生著 より)
我々が試験勉強をする時、昨日の試験の点数が心配になり、明日の問題が気にかかる。現在読んでいる本が、 どこをどう読んでいるか分からない。気にしないようにしようとする。益々気になる。本の方に精神を集注しよ うとする。いよいよ注意が散乱する。この心の反抗の状態が、即ち強迫観念の有様である。
これに対して、心の作為なく、有るがままに、気になるのを気にし、読むべきを読んでいれば、気になるものは、 なりつくし、読むものは、いつか必要なものは、自然に理解され、記憶されるようになって、不知不識の間に、 精神は統一するようになる。

そもそも、強迫観念は恐怖である。苦悩である。煩悶である。煩悶とは、心の反抗、葛藤のことである。
食欲がない。何時までも食べたくない。それは少しも苦痛ではない。しかし何だか、病気ではないか、という 心配がある。即ち煩悶が生ずる。頭がぼんやりする。それは、感じの鈍い有様であるから、頭痛と違って、苦痛 ではない。
しかし、神経衰弱症ではないか、肺病ではなかろうか、と考える時に、初めて煩悶になる。
神経質の症状は、すべてが苦痛ではなくて、想像、取越苦労であり、煩悶なのである。この取越苦労が なければ、即ち強迫観念はない。
●会議の資料などに目を通しても、自分の得意分野などしか頭に残っていなかったり、 違う用事が入ると頭の中が白紙になったりする。「不知不識の間に精神は統一するようになる」 とあるが、果たしてそうだろうか。
・1か0かと、言い切るところが神経質者の特徴。森田先生も神経質者だから、これも一つの例として、言いき っておられるのだと思う。毎回型に当てはまるかといえばそうではない。
・本を読むときに、「解ろう」として読むと、目的がずれて読むことが出来なくなる。
・気になるもの、今なすべきこと、どちらかが根負けする。嫌な気持ちのまま、気分は最後まで変わらないかも しれない。でも気になりながらやるしかない。他に解決法はない。
・気になり尽くし、疲れ、気にならなくなることもあった。
・神経質の人は、こだわりすぎる。理解しなくちゃいけない、と、こだわりの方に流れていること に私たちは気づかない。
・強迫観念とは、一つの事が気になること。解らない・記憶できないところを何度も何度も読むのは強迫行為。神経 質者は欲が深くて、分からなくなっては立ち止まる。一句一字気になり、明日の問題までも気になりながらも、分か るところから手をつけていく。仕事も、生活も、そうすることで変わってゆくと思う。
・昔は、不安に怯えて、会の始まる時間にドアの前まで来たが、中に入れず帰った事もあった。
だけどこの、頑張って来た姿勢は買える。苦しい症状を、なにかラクなことしてかき消す、 またはイヤなままでやる、または逃げようと、抵抗して疲れ果てようと、どんな選択をしたとしても 時間は経過している。乗り越えてる。
うまく出来た、苦しくても出来た、出来なかったなど比較して、自分を責めるのはよくないと思う。乗り越え方はどうであれ、むしろ不器用 に堪えた方が後々のためになる。
・神経質は感情の流れるのが遅いので、常に不安がありながらも、なすべきことをなせと森田先生はおっしゃっている。
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【後半】森田正馬全集5巻

◆P.113 「死は恐れざるを得ない」
・死を恐れるというより、その時の痛み苦しみを考えると怖い。
・悲惨なニュースを見ただけで痛みや不安を感じていた。
・パニック発作の時、背中に痛み(ヒステリー球)感じていた。→心の痛みを体が受けているという事
・自分は敏感な体質、いくら考えても怖いものは怖いと考える様になってから、頭痛、ふらつき、もうろう感がなくなった。 体に意識が集中していた事がわかった。
・家族の死を何度も体験したけれど、死は怖いもの。いくら考えても怖いものは怖い。仕方がない。
・自分が亡くなった時に、どうして欲しいかを書いて備えてからは、亡くなった後の事については安心できている。 →不安の方を見ず、してもらいたい事(欲望)の方を見る
◆〔心臓神経症の方のお話(参加者の方)〕
・普通、心臓神経症は不安神経症の様な、広場・会議・乗り物に乗ったときなど、激しい動悸が起こるものだが、自分は剣で 刺される様な強烈な痛みが起こった。(狭心症・心筋梗塞と同じ位の痛みだが、器質的なものでない )
悩んでいた時、痛みに耐えきれず、風呂掃除・靴磨きをして、綺麗になってもそれでも磨いて紛ら わせていたが、先輩から、風呂や靴は汚いから、磨くものと言われた。痛いものは痛い、 どうすることもできないという事が分かり、耐えれる様になった。仕方がないと思える様になった。
痛みを我慢しようが、何をしようが時間は過ぎるもの。
◆p114 「欲ばりの心はあきらめる事ができぬ」
☆この欲ばるという事は、何かにつけて、あれもこれもと、絶えず欲ばるがゆえに、つまり心がいつもハラハラしているとい う事になる。
・悩んでいる時は、欲ばったり、やり過ぎたりして、しんどくなっていた。
  ・森田では、「何にでも手を出せ」というが、やっているのに何故と思っていた。
・行き過ぎたら引き、引き過ぎたらやる、何でもバランス良くという事=森田という事がわかった。
とじる