◆持回り理論学習会「感情の法則」
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・感情は次から次に変わっていくものです。
・興味があってどこかに行く計画をたてるとそのときはわくわくするけど行こうとするといろいろ悪い
出来事を予想して気分が重くどんよりしてしまうことがよくあります。でも実際に行動してみるとたまに悪い
予感が的中することもあるのですが失敗しても得られることも大きいです。
・うれしい、楽しい気持ちだけを追い求めてしまいがちですが実際には自分の意のままにはなりません。
うれしい時も苦しいときもあるというのが事実です。自分ではどうすることもできません。
・感情の法則の中の「感情は同一の感覚に慣れるに従いて、鈍くなり不感となるものである」
慣れたら不感になるというのがよくわからない。症状に対して嫌な感じがなくなりません。
・感情の法則は感情とはこういうものだということを森田先生が書かれたものです。
治すためにこれを利用するものではありません。
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◆立ち直られたきっかけは?
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・昔はよくまわりのことが見えていませんでした。人の迷惑を顧みないようなところが多かったです。
でも症状がそのことを教えてくれました。
・感情にさからってばかりいました。いいふうに人から思われたいと自分のことばかり考えていました。
・最初は外に出るのも苦しくて助けてくださいと言う感じで集談会に出席していました。
集談会に参加しても誰かが治してくれるだろうという傲慢な態度でした。いつのころからかこうしたらいい
よと人から言って貰ったことを実行するようになりました。
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◆理論は実際の役にたたないのですか?
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・ただ話しをきいてるだけや本を読んでるだけでなく体験しないとわかりません。
・はずかしがりやの人でも恥ずかしがりながらならなんでもできます。
・理論どうこうよりその場に応じた動きが必要です。
・本ばかり読んで理屈を押し通してもだめです。
・結果として理論でわかるものではないです。
・私は認識の誤りに気づいて行動がかわりました。
・行動だけしたらいいとか一面からだけみたらいけません。理論も勉強して動いた結果どうかの積み重ねが大切です。
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◆「苦痛そのものになりきってしまえば、そこに比較なく、名状なく絶対になるから苦痛と名付くべき何ものもないのである」
(森田正馬全集 第5巻P.91)
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・苦痛そのものになったことがないのではないですか?
なりきってないからわからないのでは?追い込まれたことがないからだと思います。空想の世界で苦しん
でるだけです。治したいとかこれがあるからだめなんだと自分をいつまでも病人扱いするか、病気でないと信じるか。
どこかで切り替えて行動しないといけません。
・実際には経験してるけど自分で気づいてないだけかもしれません。ピンチはチャンスです。
経験はしたけど見えてなかったのかも。「お化けの正体枯れお花」なのですが最後のところで目をつぶってしまっているのでは?。
・恐怖突入ができずに予期して逃げています。やっぱりダメだとなってしまいます。
・治った人は逃げるのがつらいです。逃げるほうがしんどいから。
・恐怖はかってにくるものです。突入しないと・・と準備してるから「恐怖がくるくるくるやってくる・・」
みたいな感じになって予期恐怖で逃げてしまうことになります。
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◆5巻にでてくる患者さんが以前ははずかしがることを苦にしていたのに何故「私は恥ずかしがり屋です」と言えるよ
うになったのですか?以前のと何がかわったのですか?
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・恥ずかしいのダメと思っていたのが恥ずかしく思うことは特別のことではなく、そのままにやっていこうというふうになったから
だと思います。
・はずかしくてもやらないといけないことがあります。はずかしがりやのままで進みます。はずかしいままならなんでもできます。
・行動するときに心構えはいりません。はずかしいとかそんなことはどうでもいいです。動きそのものに没頭したらいいです。
「こんなにはずかしくてもできた」となると、はずかしいままにできることが誇りになります。
・苦しい、つらいということが問題なのではなく社会に適応できていないということが問題です適応するように動けばそれでいいです。
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