◆ものごとをすぐ善悪や損得で考えてしまいます。
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・森田では損得善悪では動くなと言ってます。神経質の人はもともと善悪損得に敏感だと思います。
得だからする。得でないからしない。正しいからする。悪いことだからやらないというふうになりがちですが事の良し悪しではな
く今自分はこれをやりたいんだという素直な気持ち(純な心)で動きます。そのほうがとらわれにくいです。
・会社などでは、「会社の倫理観ではこうだ」というものにのっとって動けば間違いないし失敗もおかさないで済むし楽だ
みたいになりがちです。
・会議の席で上役の言っていることがあきらかにおかしいと感じてふっと口から出た言葉は純な心だと思います。
会社の実状をあきらかにしていいたり事実に近かったりするかもしれません。でもそれを言わせない会社の雰囲気もあるだろうしなんでもかんでも感じたことをそのまま口にすればいいという
ものでもないと思います。そのへんのバランス感覚が難しいと思います。
・会社から給料もらっているししかたなくしたがわないといけないこともあると思います。
「偉い人が言っているけどおかしいな・・」という部分も残しておいたほうがいいと思います。心まで捨ててしまわない。
・森田の考え方は自由です。
昔は「人を憎んではいけない」と思っていたが、森田では憎んではいけないなどとはいいません。
極端に言えば殺したいと思ってもいいです。感情はそのまでいいです。その感情を行動にださなければそれでいいです。
「憎んではいけない」と強迫的になっているのはある種の倫理感が働いているのだと思います。
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◆森田の学び方
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・森田を知って感情をどう対処すればいいかわかりました。嫌なものは嫌でも前に進む。動けるじゃないかというのがわかりました。
森田知るまでは感情に忠実で嫌な感情になると絶体絶命みたいな感じで動けなくなっていました。
・「性格は変えないで行動を変える」「とらわれてもはからってもやることはやる」「森田の本を読んだまま素直に実行してみる
(理屈抜きで森田先生の言ってることを実行してみる)」
・今苦しんでいる人は森田の本を読んでも自分の感情中心のいいとこどりで読んで行動がともなっていないと思います。
都合のいい部分だけ読んで悪い部分は読み飛ばすみたいな感じになって治らん治らんと言っているので無理のないこと
だと思います。 読み飛ばしているいる部分は「そんなことしてどうなるのか」と思いがちだが読み飛ばしてる部分を
実行してもらいたいです。実行してみるのが「善悪を超える」に通じるものがあると思います。
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◆会社や仕事、人間関係がつらい。うまくやっていけそうにありません。
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・何をおそれているのですか?
・自分の頭で思い描いてる恐怖や不安は、本当にそうなのですか?実態はあるものなのですか?自分の妄想なのではないですか?
・神経症でたおれ会社を休職したことがあったのですが復帰したときは死んでもいいという覚悟で毎日会社に行っていました。
森田が言ってるんだからいうこときいてみようかという捨て身になっていました。暗闇を歩いていくしかありませんでした。
結果的には森田が生き返らせてくれました。無限の可能性を秘めています。
・会社や社会から非難されていると思っていましたが、それは事実ではありませんでした。
自分の感情がそう思いこんでるだけでした。 でも迷いの中はどうはからっても事実は見えてきません。
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◆仕事をしてるときにとても嫌になることがあります。感情を無視して行動したらいいのですか?嫌々ながやっていたらいいのでしょうか?
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・がまん比べになるような行動のしかたはやめたほうがいいのでは。
・嫌な課題があるならそこに工夫がうまれてこないとただただ嫌で苦しいだけになってしまうのではないでしようか。
どうやれば効率よくできるのか、興味が生まれるのか?嫌だ嫌だでやっていたらお手伝い根性の仕事になります。
発展させる力にならないと思います。
・本当に嫌なものが世の中にあるものなのか疑ってみてください。
・楽しくなる工夫がいるのでは。今つらくても、工夫があれば楽しくなるのではないでしょうか。
ず〜っとつらいままのそんな人生で終わらせたくありません。
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森田正馬全集5巻より ---------------------------------
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・「憂しというは何をさすらん、花は散り、雷はためき木枯くるう」というのがあるが、憂しというものは、どこにも転がっていない。た
だ花が咲くとか、雨が降るとかいう事実があるだけである。これをおのおの人がただ憂しとか楽しとか、その時と場合とによって名付
けるだけの事である。(p.85)
・「はからう心」は、我々の心の自然であるから、その「はからう心」そのままである時に、すなわち
「はからわぬ心」になるのである。手の震えを止めよう、止めようとする心でもよし、そのままに押し通せばよ。
ただペンの持ち方は、決して自分の心持ちのよいように、持ち帰るのではなく、必ず正しい持ち方をして、字は震えても不格好でも、
遅くとも読めるように、金釘流に書くという事を忘れさえしなければよい。自分で書痙をよくしよう、治そうという事を実行しさえ
しなければよいのである。(p.87)
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