◆感情について
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・腹がたったときその感情ばかりに注意が向きますます腹をたてて
しまうことが多かったのですが、現実を客観的に見れるようになって
きたら、関心したり相手のことがよく見えるようになってきました。
・感情はそのままに放任しておけばいずれ消失するものです。
放任する態度をどのように身につけるかが大切です。
・頭の中はどんな感情になってもOKです。腹が立って頭の中でどんなに
暴走してしまってもいいですが、暴力等手を出さなければそれでいいです。
・腹が立ったときでも事実を見たら冷静になれます。人から腹のたつよ
うなことを言われたときにそうかもしれないなとふりかえってみること
も必要です。
・不安なときは、何をやってもうまくいかない、つらいに違いないとか
思ってしまいがちですが、素直に事に当たってその中に入れば楽しん
だり喜んだりできます。
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◆忘れられない悲しみにを経験したことがありますか?
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・以前は思い出さないようにしようとしたり、いつまでも悲しみ
をひきずることが多かったのです。今は思い出すのもしかたないし
悲しむのもしかたない。思い出して悲しむことがあってもいいのかなと思う
ように変わってきました。
・気になるものは気になってかまわないと思います。「とらわれ」
とは気になることをそのまま気にしていること。「はからい」とは
とらわれないようにしよう、気にしないようにしようとすることで、
はからったりとらわれた状態をそのままにみたり感じたりするのがあるが
ままだと思います。
・はからうまい、とらわれまいとするとおかしくなります。とらわれたり
はからったりしたままでいいです。
・理論にとらわれてなかなかすすめなかったのですが理屈をこねずに行
動したらそれでいいのかなと思います。
・5巻なども理想から入って読むとわからなくなります。でもとら
われたりはからったりすることがなければあるがままもわかってこな
いのではないかと思います。遠回りしても無駄なことはないですし、
あまり近道ばかりしようと思わなくていいです。
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森田正馬全集 第5巻 p.68より --------------------------------
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僕が悲しい時に慟哭して、まもなく後で、ケロリとしているという事は、
いろいろの理由もありましょうが、その最も大きな条件は、年とって図々
しくなるという事かも知れません。
小児は無邪気であるから、泣くも笑うも変わりやすい。その外聞を構わないという点においては、
小児と老人と同様である。
その違う点は、老人は酸いも甘いも、多くの経験を積んでいるから、その感情が微細にわたるという事であります。
これに反して若い人、心掛けのよい人、道学者あるいは武士道とかいうも
のでは、男は泣いてはならぬとか、人に対して失礼である、みっともないとか、
あるいは諸行無常と悟ったとか、おのおのその主義や理論や片意地やで、
感情を抑えているのであるが、私にはその様な主義や理論がないから、
感情のままに小児のようになる。
それでもさすがに告別式とか、多数の人の前では神妙にしているが、それは自然にきまりが悪いか
らであって、心安い人ばかりの時は、耐えきれないで泣くのである。
そういう風であるから、泣いてしまえば感情が放電されて、心が晴れてなんともなくなるのである。
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