2002年9月
◆何か一つのことにとらわれるとそのことが尾をひいて、なかなか頭から離れず 困ります・・。
・何かふと気になってしまったりすることは誰にでもはよくあることなので気に なること自体は特に問題ないと思います。それを気になってしまうのはおかしい のでなんとか取り除こうとするところに問題があるのではないでしょうか。
・気になってしまったときに、そのままじっとその状態でいるよりも私はちょっ とした動きをするようにしています。 例えば、近くの窓が汚れているのに気付いたらちょっとふいてみる。車の中にい るときにちょっとラジオをつけてみるとか、ほんの些細な動きでもそこから動き が流れていったりします。気になったその状態のままとどまろうとせず立ち止ま らない工夫も大切なのではないでしょうか。 気をまぎらすというのとはちょっと違うと思います。
・気になったことを今すぐ消そうとするのではなく、そのうち消えるかもしれな いというふうに、長い目でみれたらいいのではないでしょうか。 ・気にしながらも次に移る動きをしていきましょう。
・四方八方に気を配れている状態の時はここはこうしたらいいんじゃないかとか いろんなことに気がついてます。
・日頃から、身近なところにやりたいことやすぐ手をだせるようなことをいろい ろ用意しています。固まってしまったような状態にならずいろいろ動けて用事も 片付きます。 いろいろなものに興味があったり趣味をもっているのでついついそのことに没頭 してしまったりしてることが多いです。
★森田正馬全集第5巻で正岡子規のことが載っている箇所を何箇所か選んでみん なで話し合いました。
・つらいときは藁をもすがってしまいまいたくなりますが、すがってしまうから しんどくなってしまうように思います。 降りかかってくるものはそのまま受けて、好きなようにしてくれというか藁をも すがらない心境でがんばりました。
・森田先生は病気でありながらも執筆等をし続けた子規のことを偉いといってい るが子規の随筆の表現が気に入らないところは遠慮なく気にくわないと言ってい る。
森田先生は誉めるのもけなすのも自由自在なんだなと思いました。 こんなところがあるからこの人はダメであるというような見方はしていないよう です。ここはいいけどここは気に入らないというような感じで、ある一面だけで 人を見たりしていません。
・運命は耐え忍ぼうとしがちですが切り開くものです。
・症状を治すことが人生ではありません。対人恐怖のせいにしてできないのがく やしいです。どうやったらやりたいことが達成できるのか、実行に向かっていくことが大切な のだと思います。
・子規が寝たきりで動く事ができず、痛くて泣きわめきながらも俳句や随筆をつ くったのは「日々是好日」だと思います。やらずにはおれなかったのだと思いま す。でもなかなか自分自身、日々是好日とは思えません。
・毎日の生活が日々是好日と感じられるず、ただ単にしんどくてつらいだけだと しか感じないのはその動きに問題があるのではないでしょうか。損得抜きで自分 が汗流すような動きにならないとなかなかわかってこないのではないでしょうか。 日々是好日も努力即幸福も同じ意味だと思います。
森田正馬全集第5巻 p.704〜705 ------------------------------------
病はもとより治さなければならないのであるが、それよりも大事なことは生き なければならないという事である。しからば「生きる」とはどういうことである か。
正岡子規は肺病と脊椎カリエスとで7年間寝たきりであった。貧乏で介護も十 分にできないから、柱から紐を引いて、寝返りをする時には、これを引っ張って したとのことである。その間も死ぬるいまはまでも、何かと原稿を書く事をやめ なかった。病はとにかく、それはそれとして、力を尽くして働き通したのである。 これが「生きる」という事である。
倉田さんも結核性の八種の病気にかかられて、寝たきりの時は、口授して人に 筆記させたこともあり、あれだけの仕事ができた。
「生きる」ということは、金魚のように、ただアップアップと息をしているば かりではない。人間が病気をしても、ウトウトとただ少しでも生き延びればよい という、ただそれきりのものではない。
人が死にたくないのは、生きたいがためである。病気が悩ましいのは、思うよ うに仕事ができないからである。神経質が不眠をおそれるのは、不眠が苦しいの ではない。それがために仕事の能率があがらないのを悩ましく思うがためである 。赤面恐怖が苦しいのは、恥ずかしいのが困るのではない。それがために自分の 優越欲を満足させる事ができないからである。
みな生きる事の欲望の反面の表れであるのである。
とじる