2001年11月
◆良い性格、悪い性格というのはあるのでしょうか。
ネクラな人は悪い性格、こだわりがなく明るい人は良い性格だと思ってしまいます。
好きな性格、嫌いな性格というのはあるがそれが良い性格、悪い性格というわけではないと思います。 天気と同じように性格も良い悪いがあるのではなく、それぞれの持ち味があるのではないでしょうか。
主観的に見ている自分の性格と他人が自分を客観的に見た性格というのは違う場合が多いです。 昔は理想の(明るく楽しく、思慮深く・・)性格になろうと頑張ったこともあったが疲れて落ち込むだけで 結局なれないということがわかってきました。昔は自分の物の考え方、わきおこった考え、思いなどに対し いろいろ注文をつけたり否定しようとしたりしていましたが今はそのままにしておけるようになりました。
◆自分の言ったことが相手を傷つけてしまったのではないかといつもクヨクヨ悩んでしまいます。
仕事では割り切ってズバズバ言ってます。仲良しクラブではないのですから。 策略を考えたり裏から手をまわしたりしながら発言することもあります。 言い過ぎたら後ですぐフォローするようにしています。
無神経にズバズバ言うのはよくないですが、言いたいことがあれば言った方がいいと思います。 言ったことに対しては自分で責任を持たないといけません。(腹のくくり方が大切なのではないでしょうか) 責任を持たずに自分が第三者的な立場にいたいという思いが強いとズバスバ言うことができません。
何も言わず、何も行動せず平穏無事にすごすのもそれはそれでいいかもしれません。 しかし、発言したり行動すると嫌な思いもいっぱいすることになりますが何かやったという達成感はあります。 おたおた、はらはらしながら何かやっている方がいいのではないでしょうか。 強いからズバズバ言えるというのではなく、弱い自分を認めることができるとズバズバ言えます。
◆「不安定即安心」について
不安定という状態は当たり前の心の状態なので、当たり前だとわかれば安心します。 嫌な感情を無理矢理感じないようにしようとすると葛藤になってしまいます。 あるがままに感情をいじらなければ安定します。不安を心にころがしておきます。
不安定な自分を客観視できたら安心できるのでは。みんな一緒で世の中は苦しいものです。
◆「はからう心そのまま」について
何か嫌な感情などが思いがうかんでくるとすぐに型にはめて楽な状態に安定さそうと工夫してしまいます。 嫌な感情をそのままにできるかどうか、そのまま流すことが大切です。「しんどいな〜」というそのままで いいのではないですか。
嫌な気分になると、気分をなんとかしようともがいてしまいます。気分が良い、悪いが問題になってしまい 事実を見れなくなります。しかし、人間は感情の生き物です。良い気分でいたいというのも人間のさがでは ないでしょうか・・・。
「気分に振り回される」という言葉をよく使うが、心に葛藤がある状態というのは、本当に振り回されて いる状態ではないと思います。
昔は気分がすっきりしてから何かをしようとしていましたが今はとらわれながらできるようになってきました。 「これが事実唯真だ」、「これがあるがままだ」と感じる時があるのですが、一旦そういう風に思ってしまうと なんとかその状態を保とうとしてしまい結局あるがままからどんどん遠ざかってしまいます。
何も感じていない時のほうが「あるがまま」「事実唯真」の状態なのでは!?
無常観は森田の根幹だと思います。
何事も常に変化していて、動いてじっとしていません。すべて過程です。固定した絶対という状態はありません。 その時その時動いてハラハラ、バタバタ、オロオロしながらやっていきましょう。
(森田正馬全集5巻 第2回形外会 P26より)----------------------
我々は何かにつけて常にはからっている。これが吾人の心の事実であり、精神の自然現象である。 この「はからう心」そのままであった時、すなわち「はからわぬ心」であるという事をも考えなければならぬ。
「不安定即安心」という事については、不安定とは、客観的の日常の事実であり、安心は主観的の想念である。 風や、寒さや絶えず変化することが日常の不安定の事実であり、これをその事実ありのままに見る時に安心があり、 いやな事苦しい事をもことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり、 余のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こり不安心起こる。すなわち余はただ「事実唯真」という。
とじる